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カナダ ー “ナス河の民”ニスガの壮大な実験

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#カナダ ー “ナス河の民”#ニスガ 壮大な実験
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カナダ ー “ナス河の民”ニスガの壮大な実験

1999.12.03 by yukkuri


霧雨の朝、村の中心に礼装の人々が集まり始める。

赤黒2色の外套をまとい、冠をつけて、自分の家柄と氏族(クラン)を誇示する。

やがて太鼓の音が響いて、儀式の開始が告げられた。

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州の北西の一角に位置するニスガ民族の村、キンコリス。

“ナス河の民”ニスガは主に流域の四つの集落に住んでいるが、キンコリスはそのひとつ、豊かな漁場に臨む河口の漁村である。

儀式の主催者であるワシ民族の長老が演説した後、若者たちがトーテムポールを取り囲み、支え棒を握ってそろりそろりと運び始める。

やがて更新が海辺の道に達するころ、東の空に太陽が現れたかと思うと、みるみるうちに青空が広がっていく。

少し進んでは止まり、また太鼓のリズムに励まされるように動き始める。

目的地に着くと、テイト家の3兄弟の陣頭指揮の下、人々が四方向に並び長い綱を引いてポールをつり上げる。

主役はポール制作者のアルヴァー・テイト。

彼は、夜の祭宴(ポトラッチ)で、1年前に亡くなった母方の大伯父の首長名を継ぐことになっている。

ポールは故人への供養でもある。

やがてポールがたち、祝いの演説や歌が始まる。先端のワシが金色に輝く。

これが、キンコリスにたった今世紀初めてのポールだ。

かつて白人政府による同化政策の圧力の下、キリスト教に改宗したニスガの一団が宣教師に率いられてこの地に移住。

以来、キンコリスは反伝統派の拠点として旧習の多くを廃してきたことで知られる。

1960年代以降の文化復興の気運の中、他の3つの村では次々にたてられたトーテムポールだが、この村にだけはまだなかった。

それがついにこの村にも復活したのだ。

ニスガの歩んできた道を、この1本のトーテムポールが象徴しているようにみえる。

100年にわたる闘いの歴史 カナダで今、ニスガ民族が注目を集めている。

それは、北米の近現代を通じて他に類例ない条約がカナダ、BC州と、この人口6000人に満たない一先住民の間に達成されようとしているからだ。

この条約に至る長い道のり、それは前世紀に遡る。

1887年、ニスガは近隣のチムシャン民族とともに州都に代表を送って、伝統的な領地における主権を主張、90年には一種の政府ともいえる「土地委員会」を結成し、1913年には英国の枢密院へ訴状を提出している。

しかし、カナダ政府はその後一方的に、かつて25000平方キロメートルの領地をもっていたといわれるニスガを76平方キロメートルの居留地に押し込め、そして、とどめをさすように先住民による土地領有権請求そのものを禁ずる法律までつくった。

しかし、政府がいつまでもニスガを封じ込めておくことはできなかった。

68年、「ニスガ部族会議」(NTC)は土地領有権をめぐる裁判紛争(コールダー事件)を開始。

その連邦最高裁での判決(73年)は、ニスガの敗訴という形をとりながらも、実質的にはその後の先住民族による土地領有権請求の根拠を与えたといわれるほどで、むしろ全国の先住民に盗って希望の象徴とさえなった。

これを受けて連邦政府は全国の先住民土地領有問題への取り組みを表明、BC州においては、90年に州政府の参加を得て、ようやく条約交渉の開始に漕ぎつけた。

交渉でその先頭をきったのもニスガだった。

そして96年には初めて「原則的合意」が結ばれ、98年夏にはついに三者が条約に署名、そのうち二者においてはその批准され、現在、カナダ連邦議会の批准によって法律化されるのを待つばかりとなっている。

誰にも止められない自治確立への流れ 条約交渉における政治手腕を高く評価されるニスガ。

だが、彼らがその一方で、先住民族として初めて独自の教育委員会を設立して、文化的な自治へ踏み出したことや、経済的自立に向けて、いち早く持続系発展のためのプロジェクトに乗り出したことはあまり知られていない。

また条約は先住民を優遇しすぎており、「平等」の理念に反する、という白人社会からの反論もある。

逆に先住民の間には、白人への妥協であり、屈服である、という意見が少なくない。

しかし、この条約は、北米大陸の片隅ですでに100年以上の間営々と続けられてきた壮大な実験の、ひとつの表現にすぎない。

ニスガをはじめとする先住諸民族における文化の再生と自治の確立へ向けた動き。

これはもう誰にもおしとどめることのできない奔流だ。

(1999年12月3日発行 週刊金曜日より転載しました)

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