
[疾病史]
癩はこの世で最も不幸な病気といわれ,また人間が認識した最初の病気であるともいわれる。
すでに前 2400 年ころのエジプトのパピルス文書に癩は記録されており,
ペルシアでは前 6 世紀に知られ,インドでは医書《チャラカ・サンヒター》や《スシュルタ・サンヒター》に,
中国では《論語》などに記述されている。また後 1 〜 2 世紀のギリシア,ローマの医師たちによっても記録された。
癩はもともと熱帯地方の疫病で,西ヨーロッパには中世初期になって侵入した。
その後おそらく十字軍による大移動によって流行状態がつくられたと考えられ,
とくに貧民層に蔓延(まんえん)し,13 世紀にその頂点に達した。
当時癩に対して医学はまったく無力であったので,この病気を防ぐ唯一の手段は
社会的規制によるほかなかった。このとき,キリスト教会は癩者を社会的に
排除されるべき者とみなしたが,それは旧約聖書《レビ記》13 〜 14 章に,
すでに癩者を〈汚れた者〉とし,社会から追放する律法が定められていたからである。
中世のヨーロッパの都市においては,癩に罹患した者は当局に届け出たうえ,
厳重に審査され,癩者と診定が下されると,市民権を影奪(はくだつ)され,
市外の癩者専用の収容所レプロサリウムleprosariumに送られた。
ここはラザレットlazaretto (《ルカによる福音書》16 : 19 〜 31 に出てくる,
全身はれものに侵された乞食ラザロに由来する語。乞食収容所,
後には検疫所をも意味した) とも呼ばれ,癩が蔓延しはじめた 11 世紀以後,
ヨーロッパ各地に設立された。このラザレットは市壁内のホスピティウム hospitium とともに,ヨーロッパにおける病院設立運動の起源となった。ラザレットの住民は決まった日にここを出て,
施しを請うて歩いたが,そのときは遠くからでもわかるように,
手の形をした白い布切れをつけた黒のマント,高い帽子など,目立った服装をして,
ガラガラを鳴らしたり,拍子木をたたいたりしなければならず,ふつう市民と接触することを固く禁じられていた。
いっぽう,福音書にはイエスが癩者をいやす奇跡が伝えられているが,
中世の修道会たとえばフランシスコ会などが救癩活動を行った。
とくにハンガリーの聖女エリーザベトは名高く,宗教画にも描かれるようになる。
13 世紀にその盛期に達した癩は,14 世紀から減退期に入る。
おそらく厳しい癩隔離策が功を奏しはじめたからと思われるが,
流行にとどめを刺したのは 1348 年の黒死病 (ペスト) の大流行で,
これによってラザレットの収容者が一掃されたからである。
日本でも,古代の律令のなかで癩は最重度の篤疾のなかに入れられ,
厳しい規制が課せられていた。のちには天刑病ともいわれ,不治の業病とされた。
光明皇后が癩者の膿を吸ったという伝説があり,鎌倉時代の僧忍性(にんしよう)は
奈良の北山十八間戸(けんと)と鎌倉の極楽寺に癩宿をつくり,救癩活動を始めている。
江戸時代には癩は〈かったい〉と呼ばれ,社会から締め出された癩者は,
四国や九州の霊場や寺院を遍歴・徘徊していた。明治になっても,
癩に対する偏見と恐怖はかわることなくつづき,救癩事業に最初に手をつけたのは外人宣教師であり,
多くの癩病人は昭和初期まで乞食の姿で全国を放浪していたのである。
立川 昭二
[らい予防法]
〈らいの予防,およびらい患者の医療・福祉を図るため〉に,旧法 (1907 年) に代わって
1953 年に制定された法律。癩,すなわちハンセン病に対する特効薬 (プロミンなど) が発見され,
かつきわめて感染力の弱い伝染病であることが判明したにもかかわらず,
全国 13 ヵ所の国立療養所などへの強制入所や優生手術その他の差別的規定が残っており,
〈強制隔離を容認する世論の高まりを意図するもの〉と従来から強い社会的批判の対象となっていた。
全国ハンセン病患者協議会などの入所者団体の運動 (〈予防法闘争〉) の成果もあって
入所者の実質的処遇は徐々に改善されてはいたが,国際的非難が高まってきたことなどをきっかけとして,
1995 年 4 月日本らい学会 (1996 年に〈日本ハンセン病学会〉と改称) が
〈長期にわたって現行法の存在を黙認したことを深く反省する〉として長年の方針を転換,
予防法廃止を求める見解を発表し,96 年 3 月に同法は遅まきながら廃止された。
しかし,長年の隔離政策の結果として社会的偏見も根強く,肉親から絶縁された人も少なくないばかりか,
その約 90 %は全快しているが後遺症などがあり,また平均年齢約 70 歳と著しく高齢化も進んでいる
などの理由から,入所者の社会復帰には実際上大きな困難が予想されるため,
これまでの医療・福祉面での措置継続を定めるとともに,社会復帰を支援する旨の附帯決議が国会でなされた。
なお,最近では,将来的には規模縮小や統廃合が予想されるハンセン病医療施設を,
外来や入院患者も受け入れる一般病院に転換して存続させることによって,
入所者に対する従来の処遇を継続維持させようという取組みも始まっている。
黒田 満
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「ハンセン病療養所」の英訳について 目次へ
Hansen's disease hospital ハンセン病療養所 ・日本ハンセン病学会の規定(ハンセン病用語集)
・WHOのサイトでは使用されていません
leprosarium
(leprosaria=複数) ハンセン病療養所 ・日本ハンセン病学会の規定(ハンセン病用語集)
・新英和中辞典(研究社)
・新英和大辞典(研究社)
・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
・WHOのサイトに現れます
leprosery =leprosarium
=ハンセン病療養所 ・新英和大辞典(研究社)
・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
leproserie ハンセン病療養所 ・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
lazaretto 隔離病院、
(特に)ハンセン病院 ・新英和中辞典(研究社)
・新英和大辞典(研究社)
・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
・WHOのサイトで使用されています
・「聖書のらい」「ハンセン病とキリスト教」はこの表現を使用
lazaret, lazarette 伝染病院,
(特にハンセン病患者を収容する)隔離病院 ・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
lazar house =lazaretto ・新英和大辞典(研究社)
・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
leper house ハンセン病院 ・新英和大辞典(研究社)
・グランドコンサイス英和辞典(三省堂)
・Catholic Encyclopediaはこの表現を使用しています
leper colony ハンセン病患者収容所 ・ウィズダム英和辞典
sanatorium 療養所 ”Culion Sanatorium”などと固有名詞を冠して使われることもあります
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ハンセン病|ハンセン病・癩(専門家向け)
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