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731(石井)部隊関連記事&写真
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ボイラー室があった建物。敗戦が迫り、ソ連軍が間近に迫ったとき、731部隊員は、ソ連軍に細菌戦の準備をしていたかどで戦争犯罪に問われることを恐れ、このボイラーで証拠書類を焼却した。
731部隊員が逃亡するときに石井四郎の命令によって爆破していった。
煙突はもともと3本あったのだが、逃亡する際の爆破によって1本は倒れた。
このボイラー室から731部隊全体に給湯され、セントラルヒーティングの設備が整っていた。
セントラルヒーティングは隊員の生活のためというよりも、ペスト、コレラなどの細菌兵器を培養するために必要とされた。
731部隊の本部棟。
修理はされているが、原型はそのままのようだ。最近まで小学校として使われていた。
731部隊跡
ここは、日本陸軍直属部隊・満州第731部隊(通称石井部隊)が1936年から1945年まで毒ガス爆弾やペスト、コレラ、チフス、炭疽タンソ菌等の各種細菌兵器の研究・製造を担当した秘密部隊で、それを実使用するための媒体として「ノミ」や「ネズミ」の飼育もしていた広大な施設跡です。
さらに、これらの毒ガス、細菌兵器の研究に中国人やロシア人を生きたまま生体実験として使いその数約3,000人と云われ、これらの兵器は実戦でも使用され今でも中国各地に残物が処理されずに埋蔵されているとの事でした。
展示室には写真や遺物、模型が誇張するでもなく展示してあり「ひどい事をしたもんだ」と思うと同時に「これが自分の生まれ育った時代の歴史の中の一つだったんだ」と認識を新たにすると同時にこの様なことは世界から廃絶すべきだと痛感しました。
施設の殆どが敗戦を察知した日本軍が証拠を隠す為資料などは焼却、建造物は爆破破壊して破壊しきれなかった建造物は現在「世界文化遺産」として保存されています。
侵略国だった日本と七三一部隊 戦後、敗戦した日本は「被害国」のように考えられることが多いが、日本軍が行ってきた加害者的側面を見過ごすことはできない。
とりわけ凄惨を極めた七三一部隊の話しを踏まえて「侵略国日本(敢えてそう言う)」を考えてみたい。
【死の七三一部隊】序文
日本は「広島・長崎」において原爆被害を被った、唯一の核被爆国である。
そのことはこれまでも重要な問題として捉えられてきたし、また今後もより一層の教訓として考えて行かねばならない問題である。
日本では戦後、こうした「敗者」「被害者」の側面ばかりが強調されるが、旧日本軍がアジア圏において行ってきた侵略行為と魔の所業を忘れることなかれ。
これから紹介する七三一部隊の所業は、日本軍が行った行為の中でも最も許されざる行いであり、また我々が明確に知っておかなければならないことでもある。
人の生命を生命とは思わぬその数々の残虐非道の行いを、当の日本人である我々は忘れてはならない。
戦後50年を経た現代、風化しつつある戦争の記憶。
数え切れぬほどの犠牲者たちの屍の上に現代の繁栄があることを見過ごせない。
彼らの犠牲を決して無駄にしてはならないのだ。
真の平和にはまだまだ程遠い。
第3第4の「世界大戦」を引き起こさないためにも日本は確固たる立場で「あの戦争」の記憶を埋もれさせない努力をせねばならないのである。
死の七三一部隊? 【秘密】
満州国は第二次世界大戦中、中国東北部に清朝最期の皇帝溥儀(ふぎ)を執政として、関東軍がでっち上げた傀儡(かいらい)国家である。
しかしこの国を「国家」として認めていたのはドイツ・イタリアなど数ヶ国に過ぎない。
日本軍が闊歩するその満州国に平房(ピョンファン)という村がある。
そこに日本軍の、ある一部隊が駐屯していた。
軍とはいえ、これと言った戦車大砲等の兵器を装備しない不思議な部隊である。
七三一石井部隊、その部隊は約6キロ四方を土塀で囲って様々な施設を作ってそこにあった。
常時3千名の隊員を擁する。
その施設にある3本の巨大煙突からは、毎日黒煙とともに異様な悪臭が流れていたと言う。
この部隊の隊員は他の軍隊とは異なり、戦闘要員が少なく、代わりに日本民間人からリクルートされた学者、研究員でおおむね構成されている。
知的な雰囲気を帯びた秘密部隊であった。
中国人はこの部隊について噂した。
「あの部隊には近寄らない方がいい。
人間を材料にして何か秘密の実験をしているらしい」
死の七三一部隊? 【逸脱】
この部隊には大量の食料、医薬品、実験器材、資材、通信機、建築材、機械、燃料、ブタ、ヤギ、ウサギなどの動物が毎日のように搬入されている。
だがやはり武器弾薬のたぐいはなかった。
しかも地域住民に対して殺戮・強奪をおこなうこともなく、不気味な沈黙を保っている。
だが内実は人間の行いとは思えぬほどの所業を繰り返していた。
搬入物のうち、特別車で「特別扱い品」が何度か来るが、衛兵たちはそれを「丸太」と表現している。
その丸太(以下マルタ)は実は人間である。
彼らマルタは、日本逆転を企図して研究している「細菌兵器」開発の実験材料として扱われ、骨までしゃぶられるようにして、ありとあらゆる実験に使われていた。
マルタは「反日派」「協力的でない民間人」「スパイや抗日運動家」などの中国人である。
彼らは生きたままムシロにくるまれ針金で縛られて運ばれる。
七三一部隊の行為は戦争遂行の目的を逸脱した、畜生にも劣る悪魔の所業であった。
死の七三一部隊? 【非道】
七三一石井部隊で「細菌兵器を開発するために人間を実験材料にすることへの後ろめたさ」を抱く隊員は少なかった。
人の心あらば、到底為し得ないような非道の実験である。
戦闘員が戦場で戦うのとは異なり、軍人、民間人問わずに「人間」を材料として研究している。
その対象は幼児・乳児を問わない。
「生体実験に処する対象は敵国人、敵性人であり、それは人ではない」。
そう信じ込むことで非道性に目を背けたのである。
人としての死を、人が妨げることが果たして許されるか?答えは否である。
死の七三一部隊? 【終焉】
七三一部隊は、1945年8月の「広島長崎」への新型爆弾投下による被害が、それまでの空襲の被害とは異なるため「至急帰国し調査せよ」という本国からの要請により、撤退準備を開始する。
だが事態はあれよあれよのうちに終戦へと向かい、部隊の立場上、到底戦後に生き残れるものではない、という恐怖が湧きあがってきた。
まもなくソ連軍も南下してくる。
部隊が行ってきたことが露見すれば、戦犯として処刑されることは間違いない。
石井隊長は施設の破壊と関連器材、関連書類などの隠滅、そして・・・生き残っている実験人間「マルタ」の全処分を命じた。
死の七三一部隊? 【殺戮】
蜂の巣をつついたような大混乱の中、施設は爆破され、収容されていたマルタの大量虐殺が始まった。
監獄へ青酸ガスを流し込み、それでも死に切れない者は銃剣で止めを刺しながら歩く。
隊員の数を何倍も上回るマルタをそれでも処理し切れずに、今度は一ヶ所に集めて爆発物を投じて一挙に爆死させたりした。
残っているマルタには二人一組にして互いに殺しあわせることで処理した。
石井部隊の所業に関する証拠が露見したり、マルタが生き証人として生き残ればその罪は免れない。
撤退作業の中、マルタ殺戮は激越を極めた。
死体を残すわけにいかないため、大きな穴を掘ってそこに死体を一挙に投げ入れガソリンをかけて燃やした。
死体は生焼けで異様な匂いを放つ。
形ばかりの土をかぶせて部隊は撤退作業に焦った。
焼却された死体の骨は松花江(スンガリー)という川に運ばれて投棄された。
証拠は跡形もなく隠滅せねばならなかったのだ。
人を物のように殺して処理して行く光景はまさに地獄そのものであったろう。