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2. 731(石井)部隊関連記事&写真

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死の七三一部隊? 【戦後】

日本本国に帰国する際、石井隊長は部下たちに命じた。

「七三一部隊に在籍した事実の秘匿」
「公職復帰への禁止」
「隊員相互の連絡の禁止」

隊員は戦後、混迷を極めながらもその命令を守った。

だが進駐軍は七三一部隊の調査の中、石井隊長以下幹部の所在を突き止める。

極東軍事裁判においてソ連は、彼らの取り調べと処刑を要求した。

ところが、石井隊長は保身のために、隊員にあれほど厳重に秘匿を言い渡したにもかかわらず、密かに大陸から隠し持ってきた「七三一関係資料」を米軍に提供していた。

米軍はその資料的価値の大きさ(良心の呵責にはばまれて人間にはできえないような研究の成果)を測って、石井以下幹部の免罪嘆願に及ぶ。

アメリカはソ連との確執の最中にある。

この七三一の技術情報はソ連に流れていないため、裁判を開けばその情報がソ連側に流れてしまう可能性がある。

それを危惧したのである。

かくして石井たちはGHQとの秘密取り引きによってその罪を免れた。


七三一部隊

七三一部隊の中には、その研究資料を自分の物として発表し、叙勲された者もいたらしい。

「戦後の日本医学の基礎は七三一部隊にある」と豪語するような幹部隊員の戦後ポストはそうそうたるものであったと言う。

日本学術会議南極観測特別委員会には七三一部隊凍傷班隊長が参加。

血製剤メーカーミドリ十字には石井の右腕と言われた人物が。

その他幹部たちは、医学大学、政界、民間病院など様々な重役のポストに就いた。

全て取り引きの成果であろうか。


731部隊の終焉

昭和20年8月9日 ソ連対日宣戦布告。

ソ連機甲部隊は怒涛のように南下を始めた。

関東軍にこれを止めるすべはない。

731部隊は悪業の証拠隠滅作業に追われた。

機密が暴露してはならない。

一切の証拠を破壊する必要がある。

収容されているマルタを放すわけにはゆかない。

すべて抹殺せよ。

青酸カリ入りの食事を与えたが、気付いて食わない者もいる。

覗き窓から銃弾を浴びせる。

死体の処理が大変だった。

大きな穴を掘りその中で重油とガソリンをぶっかけて焼くのだが、人体は容易に灰にならない。

鉄棒でつつき火の回りをよくしようとするが、思うに任せない。

しまいには手掴みで死体をひっくり返す。

胴体が裂け内臓が飛び出すが構っていられない。

急げ。

ソ連軍がすぐ近くまで迫っているぞ。

将校、下士官の怒号が飛び交う中、8月の炎天下に兵たちは地獄の獄卒のような作業を続けた。

貴重な研究データも実験記録も火中に投じられる。

高価な顕微鏡や医療機器も今更惜しんでも仕方がない。

真新しいフォードのトラックもすべて火をかけられた。

残るは建物だけだ。

頑丈な鉄筋コンクリート造りの建造物は50キロ爆弾を仕掛けて爆破した。

隊員から捕虜が出ると秘密が露見する。

全員脱出すべし。

食糧を満載した特別列車を仕立て背後に迫るソ連軍と犠牲になったマルタの怨霊から逃れようと一気に南下する。

大勢の同胞が北満の広野を彷徨しているときに、731部隊員は8月末早々に帰国を果たした。

部隊解散時 石井中将は訓示した。

「731で知ったことは墓場まで持ってゆけ。戦友、肉親といえども絶対にしゃべってはならない」

絶対的なカリスマ性を持つ石井中将の呪縛にかかったか元隊員は沈黙を守った。

731部隊に属していたことを秘して軍人恩給の申請を諦めた人さえいる。

毎年終戦記念日ころのメディアでは戦争体験を語る老人が登場するが、731の隊員は名前、顔を秘してほんの少し語るだけだ。

最高責任者の石井四郎は戦犯法廷に立つことはなかった。

米軍に研究資料を提供することで一切の責任は免責された。

米軍にしてみれば石井を絞首台に送っても得るものはない。

米軍は労せずして自らの手を汚すことなく実験資料を手に入れた。

その内容は最高の軍事機密に属するから窺いようがない。

ペンタゴンの奥深く収まっていることだろう。

結果から言うと731部隊は米軍のために奉仕したようなものだ。

米軍はこの資料をどのように利用したか。

朝鮮戦争、ベトナム戦争で使われたとの噂もある。

「9・11」以降発生した炭疽菌事件にはなんらかの形で「731」と関連があると見られている。

国内でも昭和23年に起きた帝銀事件の犯人は「731」出身者でないかと見られた。

「731」は組織としては消滅したが、その影響は今なお世界を脅かしている。

部隊で直接人体実験・研究に携わった軍医たちの戦後はどうであったか。

戦後日本の医学界を支える重鎮に錚錚たる顔ぶれが並んでいる。

ミドリ十字会長、東大医学部教授、京大、阪大、大阪市立大、防衛大学、金沢大などの医学部教授、その他薬学研究所、病理学研究所の研究員など枚挙に遑ない。

医学、病理学の研究に当たっては実験動物としてモルモットが使われる。

人体に似ているからだ。

それでも人間そのものではない。

「731」では人間、それも若い健康な生きのいい人間を実験に供した。

探究心の旺盛な医者にとって涎の出るような喜びであっただろう。

初めは良心の呵責にさいなまれたかも知れない。

だが何度か経験するうちその感覚も麻痺し「お国のため」との大義名分より科学者としての好奇心、探究欲に埋没していったのでないかと推察する。

戦後かれらの栄達が「731」で磨かれた医学者としての能力によるものと考えても不思議でない。

善悪は別にしてかれらは日本の医学を進歩させたと言われる。

そうなるとわたしたちも間接的に「731」が育てた軍医たち、犠牲となった3,000人のマルタの恩恵を蒙っていることになるのだろうか。

すべてが解明されたわけでなく、今後も解明されることはなかろう。

個人的な関心としては石井四郎の思想、哲学、人生観を知りたい。

生粋の職業軍人でなく医学者を目指した彼がなぜ細菌戦研究に打ち込むようになったか。

京都帝大医学部卒。

2年間の欧米視察。

昭和初期の日本人としてはエリート中のエリートであった。

医学者としても大成しただろうに。

なぜ悪魔に魂を売り渡したか動機を知りたい。


七三一細菌部隊罪業陳列館

731部隊は関東軍防疫給水部の別名で「石井部隊」とも呼ばれていました。

ハルビン郊外平房の地に、特別軍事地域を作り生物・化学兵器の人体実験などを行っていました。

七三一細菌部隊罪業陳列館はハルビンからバスで1時間ほど郊外に行ったところにあります。


部隊の配置図

日本の新聞(最近の物)の切抜きで、旧将校の手記。

昭和14−6年ごろにかけての731部隊の発祥や、ノモンハン事件について書かれています。

凍傷実験や細菌爆弾の製造(ペスト、コレラ、チフス、赤痢)など、人体実験に使われて人は3000人に及ぶといわれています。

写真中央が石井四郎

1945年の敗戦において証拠隠滅のために施設の破壊、人体実験の人々(丸太と呼んでいた)の殺害、実験データの焼却をします。

同じ頃、ドイツでは化学兵器(毒ガス)の開発が行われており、オウム事件で注目を浴びたタブン・サリン・ソマンなど有機リン酸系の毒ガスがバイエル社などによって開発されます。

そしてアメリカは原子爆弾を開発していました。


各部隊支部長出張所長記念写真

戦後、極東軍事裁判において731部隊の幹部隊員の多くは戦争犯罪人として裁かれず、アメリカは彼らの持っているデータと引き替えに彼らを免責にし、多くがその後日本のいろいろな所の高い位についたことは、細菌の薬害エイズ事件の時に注目されました。

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